イヌに教え、教えられ
第4回 「叱る」ことが必要であり、
「叱る」には愛情が必要である。
「叱る」には愛情が必要である。
犬をしつけ、トレーニングをするための方法は多くあるが、その考え方を大きく、ざっくりと区別すると2つに分かれていると思う。
「褒める(叱らない)躾と叱る躾」
叱らずにいい行動を「褒めて」のばしていくのが褒める躾で、
「叱り」止めてからいい行動を褒めていくのが叱る躾。
オヤツを使って教えるのか、それともオヤツは使わないのかでも分けることもあるが、区別する時にもっとも大きな要素は叱るのか、それとも全く叱らないで教えるのかで分けられる。
訓練犬の訓練競技、家庭犬のしつけ、保護犬のリハビリ・・
限られてはいるが自分の今までの経験から考えると正解は無く、1頭1頭その犬に向いているやり方があると思う。褒めていくことで延びる仔もいるし、悪いことは叱って止め、それから褒めなければ行動が変わらない仔もいる。社会性が無い暮らしを長くするブリーダー放棄犬などは怖がる犬が多いため、怖がらせないよう褒めて、褒めて時間を掛けてリハビリをしなければいけない仔もいるが、基本的に褒めるだけ、叱るだけ、どちらかだけでは足りない。程度や頻度の違いはあるがどちらも必要だと僕は思う。
犬のしつけやトレーニングの考え方は、人間関係や人間の教育にも通じるところがあると思うことがあります。
「ゆとり教育」や「順位を決めず何でも平等」、「叱らない教育」の考えを聞くとそれでうまくいくこともあるかもしれないが、それだけで足りるのかなと思うことがある。人間も一人一人違い、勝ち気な子もいれば、大人しい子もいる。気づき褒めて伸ばしてあげなければいけない子供もいるが、それだけでは伝わらない子供もいると思う。
犬の飼い主にしつけやトレーニングを教え、伝えるときも飼い主を褒めることは当然だが、愛犬への甘やかしが強いときや家族と愛犬のためにならないと判断したとき、必要な時に叱ることができない飼い主には、それでは駄目なことを伝え、僕が飼い主を叱らなければいけない。
飼い主をも褒めてだけでは変えることは難しいと思う。飼い主が変わらなければ愛犬も変わらない。必要な時には、叱る必要があると思う。
僕が学んだ訓練の専門学校には学長と呼ばれるおじいちゃんがいた。
印象と言えば、とにかくよく怒るうるさいじいさんだなぁと当時は面倒くさく思ってたこともしばしば。だが学校を出て、少しづつ経験を積んで改めて振り返ると学長のことがとても懐かしい。当時学長が犬の訓練に必要な3原則として口うるさく言われたのが、
「適時的確なる賞罰」「人犬親和」「創意工夫」
適切な時に適当なだけ叱り、褒める。
でも叱ること、褒めることは相手と信頼関係ができていなければ伝わらない。1頭1頭犬は個性が違うからその犬に合う訓練を考えなければいけない。
今改めて考えるとどれも大事なことであり、叱ってくれる学長の存在がありがたく思う。学長は僕にとって近所の叱ってくれるオヤジのような存在だったのかも。
誰かが言っていた、
「叱ると怒るは違う。叱るには相手への愛情や気持ちが無いと出来ない」
今では、きっと学長は、訓練士を目指して入学した生徒を一人前の訓練士にしたい、そして生徒への気持ちがあるから怒鳴り散らしていたに違いないと勝手に思う。
飼い主さんも分かってくれているかな、僕の愛情を、笑。
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