犬との出会い |
-金子さんは子どものころから犬を飼っていたんですか。-
そうです、私のまわりの環境には犬がいましたね。うちの祖父が建設会社だったんです。その建設会社の飯場と昔は呼んでいたのですが、事務所みたいなところに飼っていたりとか、現場にいくと犬が捨てられていたりして、祖父が大好きなので拾ってきてしまうんです。実家とおじいちゃんの家がすぐ近くで、それで子犬を拾ってきてはうちに連れてきたり、祖父の家で飼っていたりなど、子どもの頃から犬がいましたね。
でも東京に越したときにマンションだったことや、みんな受験もあるし就職もあるしというので犬を飼えない状況になっていて、しばらく飼いませんでした。猫ちゃんだけは弟が拾ってきたのを飼っていました。
戸建てに越してからも、弟が拾った子を飼っていました。
-その建設会社の近くで暮らしていた頃は何歳頃だったんですか。-
中学3年生です。高校の時に、全員で東京に越したんですね、母のバレエの拠点や私達の受験も全部向こうでしたし、越境も出来なかったので。
幼少時の経験、体験が今のものにつながっている感じがしますね。おじいちゃんの影響を受けて、私もよく拾ってくる子どもでしたね。
犬を拾ってきた動機は、とくにかわいそうという感じではなくて、かわいいという感じですね。でも、「どうしよう」と思いだしたのが、小学校2年生のときです。雨が降っているなかで、置いていったら死んじゃうって・・・。以前は放し飼いが多い地域でしたので、子犬でもなんでも親が産んでもその辺に放していたわけです。子犬がちょろちょろとお母さんの所に戻ってしまうというのもよくあることですが、その子だけはぽつんとそこにいたので、それを持って帰りました。
結局、その子を飼いました。親に「連れてくるんじゃない」って言われて、その犬を材木置き場の倉庫の中に姉と飼っていましたが、親に気づかれてしまいました。でも、その犬は、野鳥観察の小屋で、管理人さんに言ってそちらのワンちゃんとして飼っていてもらったんですね。
私は、「犬を拾ってきたらいけない。捨てにいけ、もとの場所に戻してこい」ということを、子どもたちには絶対に言いたくないなと思っています。「見かけたらあなたたちどんどん連れて帰ってきなさい。連れて帰ってきたらその後何をしなくてはいけないのかということを学びなさい」と常に言っています。
友達どうしでも、道端に子猫がいるときにそういう話になるそうです。「それを連れて帰るんだったら、最後に飼い主を探さなければいけない。そういうことをあなたたちが伝えてあげなさいね」と。
いのちをまなぶこと。 |
-お子さん達が犬を連れてきてしまったことはあるんですか。-
いえ、ないんですよ。たぶん捨て犬がいれば連れてくる子なんですね。彼らの目線というのは大人よりも低いので、下にいる動物はすぐに見つけるんです。コインパーキングに車を停めたときに、私の下の子どもが「ママ、犬がいる」と言っても、私には見えないんです。「あそこ」って指をさした先、コインパーキングのある大通りのところにうずくまっていたんです。「わー」と思って、長男と次男に「声をかけていなさい。さわらないで、良い子ね、良い子ねって言っておきなさい」と言ってきかせて、車の後ろをあけて準備をして、その子をすぐにつかまえて車に乗せて帰ったことがあります。
あそこにいるここにいるって見つけることはありますね。やっぱり目の高さが違いますから、小さい猫なんかも見つけますね。たとえばひかれている犬であったとしても、私は連れて帰ります。飼い主さんがその亡骸を探していることがあるんです。いなくなってしまった人にとっては、生きているのか死んでしまったのかすごく知りたいことなんですよね。だとしたら、火葬してしまった後でも、少しでもなにか手がかりになるものを残しておいてあげればと思っています。
たとえば、画像に残しておくとか、毛の印象を覚えておくとか、場所はどの辺だったとか、それを確認してノートに記載するようにしています。過去に持ち帰ったワンちゃんの亡骸で、その日に飼い主さんを見つけ出せなかったのですが、次の日火葬にだした後に首輪で飼い主さんが見つかったということがありました。
だから、できることはしておこうかなと思っています。子どもたちにもそういうことは教えています。学校帰りにどこに、なにがいたとか、鳥がいたとか、そういうのを見て奥ように言っています。犬や猫が捨てられていたら。
聞いたところによると、学校ぐるみでそういうことに取り組んでいる学校というのが日本にもあるんですよね。子どもが犬を一匹拾ってきたら、学校のみんなでどうするか考える。いまの子どもたちにすごく必要なことだなと思うんですね。
結局、その拾ってきた動物を私のところに連れて行けば、飼い主を捜してくれるんだよという親御さんもいますが、それは違うと思います。小さい頃から、自分がしてしまったことの責任を、最後までとらせてあげることで子どもって覚えることがあるんですよね。
よくペットとして飼っていた子の亡骸を、子どもがショックを受けるから見せませんでしたと言う人がいますが、それは違うと思います。その子その子、子どもの性格にもよりますが、しっかりと最後どうなるかを見ない限りは、やっぱりゲームの中の死んでいくものでしかないように私は思います。
あのショック感と温かくなくなってしまったもの。昨日と今日が違うということ。次の日に形もなにもなくなるということ。そこをしっかりと見て欲しいなと思いますね。強制的にではありませんが・・・。
私がパソコンで画像を加工して、動画を流していると、子どもは後ろで見ています。長男はすごく繊細な子で、しばらくご飯を食べられなくなるときがあります。1頭目の保護犬が亡くなったときです。長男と動物病院に連れて行き、亡くなってしまったのです。さっきまで生きていた子がその場で亡くなってしまったのです。学校の先生から連絡があって、どうも具合が悪くて給食を食べませんでしたと・・・。その日、家に帰ってきて吐いてしまって、寝込んでしまいました。
それでも長男は、自分から一緒に愛護センターに行きたいと言うので、連れて行きました。
見たことで、具合が悪くなってしまうかもしれませんが、考えることは必要だと思うのです。亡くなるものは亡くなるし、生きるものは生きる。その中で自分にできることは何かということです。息子に何かしろということではなく、私がやっていることを見てもらいたいなと思っています。犬のために最後まで何をするのか、犬を拾ってきたらケアをして里子にだす。その道さえわかっていたら、どういうことにでくわしても、自分が飼えないから保健所に、ということがなくなるし、拾うことが恐くないと思うんです。
-だいたい毎回連れて行くんですか。-
学校があるので毎回は連れていきませんが、3回ぐらい行きましたね。場所は全然ちがうところ。
-お子さんはそういうのを見て、学校の作文に書いたことなどはありますか。-
ないんです。でも、里親さんのところのお子さんは書いたりしていました。コンクールにだしたりして。