乗馬インストラクターがお伝えする馬のお話。乗馬とファッション第4弾です。
今回は、シャネルのお話です。
CHANELと言えば、今や誰もが知る世界的に愛されているブランドの一つです。
CHANELの創始者、ガブリエル・シャネルは男性と同じ乗馬パンツを履いて公の場で馬に跨った初めての女性ではないか、と言われています。
それまでの乗馬服は騎乗するのに男性の手助けを必要とするものでした。
ウエストを締め上げるコルセットと長いスカートから解放したシャネルの乗馬スタイルは、後に彼女が生み出す『シャネル・ルック』の原点とも言えます。20世紀初め、パンツを履いて馬に跨るという事は‘新しい女性‘の象徴でもありました。
ガブリエル・シャネルの乗馬スタイルを辿ってみましょう。
シャネルが乗馬を始めたのは1908年24際の時でした。
17歳になるまでの少女時代を尼僧院で過ごし、その後は、ムーランなどの街で歌手を夢見ながら職を転々として数年を過ごしました。ムーランでシャネルと同年の叔母アドリエンヌと共に洋装店で働いている時、ムーランに駐屯していた裕福な家の出である将校バルサンと出会いました。バルサンに連れられて、ロワイヤリュという土地に移り住む事になりました。そこでしシャネルはバルサンに乗馬を習いました。
ロワイヤリュには、親の財産を競馬と乗馬に費やし、のんびり暮らしているバルサンの仲間と、彼らの愛人の女優や歌手が集まっていました。
しかし、シャネルはそこでその様な愛人の女性と同類に見られることを嫌い、男性の服を借りて着るようになりました。
乗馬の時は、馬丁の乗馬パンツを借りて着用しました。
そして、シャネルはある小さな男物の仕立て屋に行って、イギリス人の馬丁から借りた乗馬パンツのコピーを注文しました。
こちらの画像は、そのパンツを履いたシャネルです。
〈引用〉シャネルの生涯とその時代 81ページ
左がシャネル、一番右にいるのがバルサンです。
当時の女性が身につけていたダチョウの羽などで派手に装飾がされた帽子ではなく、原型に近い、フェルトの帽子を被っています。
また、この頃のシャネルは帽子に興味を持っていて、既製の帽子の飾りを取り除いては新しいものに作り変えていました。
乗馬服に関しては、帽子ではなく、ヘアーバンドを考えだしました。
当時乗馬の際は、山高帽や舟型の帽子をかぶるのが常識だったので、上流階級の乗馬をする女性からは悪趣味として軽蔑の目を向けられていたそうです。
シャネルは競馬にも熱中しました。
フランス、ヨーロッパで当時の競馬場と言えば、最高にエレガントなドレスと帽子を被って訪れる社交界そのものだったという歴史があります。
現在でもエレガントな帽子がドレスコードになっている競馬場もあるんです。
また、当時ロンシャンやヴァンセンヌという競馬場ではアマチュアでも競馬に出場できる制度があり、シャネルもその制度でレースに参加していました。
シャネルはダチョウの羽もギャザーも蝶結びのリボンも付けず、男性と同じに仕立てた乗馬パンツでレースに出ました。その姿が徐々に話題を呼ぶようになったのです。
その後シャネルは生涯たった1人の恋人となったカペルと出会い、ロワイヤリュを出ました。
1910年にはパリで念願の帽子展を開きました。
カペルの出資でカンボン通り21番地に店を構えてからはシャネルは死ぬまでここを離れることはなく、ここから『シャネル・ルック」を発信していきました。
シャネルは、パリに移った後も、週末にはカペルと共にロワイヤリュで乗馬を楽しんだそうです。
カペルの勧めで、ロンドンの男性服の仕立屋で素晴らしいカットの乗馬服を作りました。
カペルに勧められて作ったロンドン仕立ての乗馬パンツ。
〈引用〉シャネルの生涯とその時代 81ページ
シャネルは本場の物を着こなす事で、パンツを実生活の中に持ち込みました。
また、乗馬というスポーツから自由さを見出したこの発見(=乗馬パンツ)を、か彼女の見事な才能で、‘婦人もの’に変えたのでした。
画像1&2 シャネルの生涯とその時代 81ページ