乗馬インストラクターがお伝えする馬のお話。
馬の行動を馬からの視点で考える後編です。
人には理解しづらい馬の防衛本能について馬の視点で考えてみましょう。
馬に備わっている自己防衛本能
人と馬との決定的な立場の違いから誤解されたりすることが多い欲求の1つは、馬の行動に本来備わっている自己防衛のための基本的な本能です。
私たちがそれを理解できない理由は、私たちが馬を怖がらせるものに共感できないこと、または危険に対する馬の不安の程度を理解していないことだと思います。
もちろん人間にも自己防衛の意識があり、これまでも敵は存在しましたし、今でも存在します。
生存と自己防衛の本能は、すべての生き物に生まれつき備わっています。
しかし、野生の群れの中に生まれた馬を想像してみてください。夜に鍵をかけるドアもなければ、番犬も警察もいない。
最近は熊の脅威が連日報道されていますが、それでも皮肉なことにほとんどの人にとって、私たちが心配しなければならない最も危険な種は私たち自身であり、差し迫った攻撃について心配している人はそれほど多くありません。
重要なのは、馬はかつては防御する生き物でしかなかったということです。
馬たちは進化を通じても他の動物を狩ったことがありません。
これは、馬の意識が常に脅威の認識、評価、回避に注力されているという事です。これは馬の行動を理解し対処する上で重要な要素です。
馬たちは環境に危険がないか常に評価しています
人が馬を飼いならし、食べ物と住処を提供し始めたとき、馬に安全も提供しました。
厩舎や馬場に捕食者である肉食獣がいない事がわかったとしても、馬は知的思考によって合理化することはありません。馬はこれまで行ってきたこと、周囲の潜在的な危険を評価し、それに基づいて行動することを行っているときにのみ安全だと感じます。 つまり、「人といれば絶対に安全」とは、馬にしてみたら考えられないと言うことです。
自己防衛は依然として現代の馬の行動の中心と言えます。
馬が周囲の脅威を評価している時に人が誤解してしまう例としては、馬上でも地上でも思う様に動いてくれない時に、やる気がない、元気が良い(張っている)から怖がる、若いから集中力がない、など。
こう思ってしまいがちな時に馬の視点になって考えると、仲間がいて、ご飯があり、安心して眠れる厩舎から離れる場所に連れて行かれて不安、そこに連れて行く人間も脅威なのではないか?
この状況で自分だったら何をしたいか?を考えます。
おそらく時間をかけて周囲を見渡し、状況を確認しますよね。
馬がこれをしたい時に、拍車や鞭で追われたり、とにかく前へとやられたらどうでしょうか?安心するまであらゆる方向から確かめたりすることを制限してしまうと、なかなか馬はその脅威に対して受け入れることができません。
だからと言っても、馬が何に不安を感じているか、馬にとっての脅威を理解したり、逆に、不安や本能からくる行動ではない場合などを見極めるのは簡単な事ではないですよね。
だからこそ、馬という動物の持つ本能や行動を学び、頭に入れておくことが大切です。
その上で、馬の表情や耳の動き(過去記事参照)を観察して、安心へ促す行動をとってあげましょう。
馬と人とのコミュニケーションは成功も失敗も含め、その繰り返しで培って行くものだと思います。