乗馬インストラクターがお伝えする馬のお話。
今回は、馬の安楽死について話そうと思います。
馬の「安楽死」について、どんなイメージがありますか?
時折『レース中に骨折して予後不良となり安楽死』競馬のニュースなどで耳にしたことがある方もいらっしゃると思います。
馬の死亡原因として老衰も当然あります。
その最期の直前まで元気に過ごしていられるのが馬にとっても幸せで、共にいる私たちにとってもありがたい事です。
しかし、そんな風に最期までいられない馬の場合、安楽死について考えなくてはいけないこともあります。
私たちの馬は単なる家畜ではなく、パートナーであり、そして家族です。
安楽死の決断は非常に難しいものです。
安楽死が最も優しい終わりであるという状態まで生活の質が悪化したときを認識することが大切です。
*安楽死を考える兆候
- 歯並びが悪いか、食欲がないために、健康な体の状態を維持するのに十分な量を食べられない
- 横たわった状態から苦労しないと起き上がることができない
- 慢性的な問題により、継続的な痛みや不快感が引き起こされている
先ほど紹介した骨折した競走馬のケースを考えてみましょう。
肢の骨折を人間に置き換えてみるとどんなに重傷だとしても直接命に関わることはなさそうですよね。犬や猫などはどうでしょうか?
動物病院で手術や治療をして、治す事ができる事が大半でしょう。
でも、馬にとって肢の骨折は、致命傷になってしまいます。
馬は、細い4本の肢であの大きな体を支えています。
その内の一本が折れて動かせなくなってしまうと、馬は立っているだけでも大変です。
もちろん馬も手術をする事ができます。競馬場などでは設備も整っています。骨折の状態によっては手術を選択して助かる事もあるでしょう。
しかし、馬は歩き動くことで心臓のポンプ機能を助け全身の血流を促す大切な役割が肢にあります。
寝たきりになってしまうと内臓がすぐに機能不全を起こしてしまい生きられないのは当然としても、もし自力で立っている事ができていても、1本が骨折してしまった事で他への負担が増す状態は馬にとってとても苦痛を伴う事なのです。
もちろん様々なケースはありますが、馬が骨折で予後不良で安楽死というのは、決して人間の非情な選択ではありません。
馬を苦しませながら生きながらえさせる事が人間のエゴである場合もあるのです。
骨折以外の場合も同じです。
治る可能性がない時に苦しませながら生きながらえさせるのは、ホースマンシップと言えるでしょうか?
安楽死の決断は、もちろん簡単に決められることではありません。
何度経験しても、そのタイミングや決断が正しいものだったかどうか、ずっと背負い続けていくものです。
私は数年間犬や猫を診療する動物病院に関わっていたことがあります。
犬や猫の安楽死は、その間に1件しかありませんでした。
それに比べて、馬の安楽死を選択するケースはとても多いです。
馬は経済動物だからという側面だけがクローズアップされがちですが、少なくとも私の周囲においては違います。
獣医学が日々進歩していても、馬が大きな動物であることや馬の特性など、人の力だけでどうにもできない状況があります。
そうしたことを踏まえながら私たちが覚えておくべき最も重要なことは、馬と共有するすべての瞬間が特別であるということです。
それは人にも犬やその他の動物たちにも言えることですね!それらを大切にして生きましょう!