昨今、ブリーダー崩壊や放棄される動物をメディアで取り上げられる機会が、徐々にふえてきました。
また、里親が決まるまでの間、保護犬を自宅で預かるボランティア(一時預かりボランティア)の存在がクローズアップされたり、一緒に暮らす犬を探すとき「保護犬を迎える」という選択肢が定着しつつあり、国民ひとりひとりの動物愛護に対する意識の高まりを感じられるようにもなってきました。
その一方で、「かわいい」「かわいそう」という一時的な感情だけで保護犬の里親になり、生活をはじめたが思ってもいなかったような出来事が起こり、犬との生活を続けられないことも多く、まだ様々な課題が残っています。
そこで今回は、里親として犬を迎えるとき、犬も人も共に楽しく生活するためにとても大切な『マッチング(お見合い)』についてお話します。
『マッチング(お見合い)』
里親側の希望と保護犬側のニーズを見極めることが大事
まず保護犬の多くは、成犬です。
個性が確立している成犬は、性格・行動の癖・運動量・健康状態・できること・苦手なことなどを保護している団体から得ることができます。
さらに、家庭で保護されていた(一時預かり)犬は、生活する際の細かい注意点まで事前に知ることができます。
里親側の希望(ライフスタイル・犬に費やせる時間と体力・性格の相性・その犬とどう暮らしたいのかなど)と保護犬側のニーズ(性格・タイプ・犬種特性・必要運動量・できること・苦手なことなど)を照らし合わせて選ぶこともできる。
折角、保護犬から一緒に暮らしていく犬を迎えようと思い暮らしてみたが
大変すぎて飼いきれない… 想像と違っていた… やっぱり保護犬は…
などということにならないためにも、マッチングは必要です。
マッチングは、人と犬の互いにとって大事なこと
例えば「高齢者だけの家庭に元気のいい若い犬を迎える」
それは、元気一杯のお孫さんを毎日一日中ずっと世話するようなものです。
散歩であちらこちらと引っ張られたり、たくさんの時間をかけて遊びにつきあわなければならないこともあります。
ときどき遊び相手をするだけなら楽しいですが、四六時中となると体力の限界を感じるのではないでしょうか?エネルギー量の差があれば日々の生活が大変になり、1ヶ月続けることもできないかもしれません。
これでは、いいマッチングとは言えません。
いいマッチングとは?
では「高齢者だけの家庭に保護犬の譲渡はできないのか?」
いいえ!そうではありません。
例えば、「7~9歳で運動量が落ち、性格が穏やかな10kgぐらいまでのシニアドッグ」
こんなタイプの犬が、高齢者だけの家庭に向いています。
高齢者を支える家族が近くに暮らしているなど条件が整えば、高齢者にとって犬が毎日の散歩のお供となり、人にとって健康的で犬にとっても満足度の高い生活がおくれる期待ができるでしょう。
共働きなど、留守番が長い家庭に仔犬や独りが苦手な犬を迎えれば、吠えて苦情が来たり、帰宅したら家中粗相だらけ、いたずらだらけ…ということもあります。
それならば「留守番とトイレだけは大得意な仔」を探すことができればいいご縁になるでしょう。
また「十分に発散してあげれば留守番ができる仔なら、朝2時間の早起きと散歩や運動が苦にならない家庭に迎えられれば」いいマッチングになるかもしれません。
ものすごく活発な犬には、運動や発散に掛ける時間と体力が必要です。
だれか一人だけで頑張るのは難しいですが、パパ・ママ・学生の息子さん・娘さんみんなでかわるがわる遊び、散歩の分担ができ、アクティブに一緒に歩く・遊ぶ、ドッグスポーツをするのが大好きな家庭なら、犬にも家族にとってもいいマッチングになるでしょう。
悩みになりやすいチャイムに吠える犬でも、郊外の一軒家で来客を知らせてくれるように吠えてくれることを望むご家庭であれば、お互いにピッタリなマッチングでしょう。
マッチングの目的は
マッチングに100%はありません。
そして、条件が隅々まで合う犬を選ぶことが目的ではありません。
理想を求め過ぎて里親になる犬を決められないとなっては意味がない。
マッチングの目的は、自分たちのライフスタイルを整理し知ったうえで、その犬を迎えたらどんな生活になるかをイメージして、考えること。
第一印象も大事ですが、それだけで犬を迎え、同じ失敗を繰り返すのを防ぐためです。
人と犬、共にできるだけスムーズに新しい生活をするための流れをつくることが、大事なのだと思います。
「飼いたい犬」と「飼える犬」
それは、保護犬・ペットショップ・ブリーダーどこから犬を迎えても同じことです。
マッチングという考えが当たり前となれば、
捨てられる犬を救う「受け皿」がふえるだけでなく、
捨てられる犬を減らす「蛇口を締める」ことにも繋がります。
保護犬の存在が知られるようになってきた今だからこそ、次はマッチングの大切さを多くの人へ伝え、広めていくときなのです。