動物の見方あれこれ
~動物観とは何か~
~動物観とは何か~
第2回 タロとジロにみる動物観
ここ10年ほどのペットブームにより、日本におけるペット事情は大きく変化しました。
ペットの数自体が増えたことはもちろんですが、ペットを「家族の一員として飼いたい」と考える人が増え、室内飼いが近年圧倒的に多くなっていることも大きな変化です。
こうした変化から考えられるのは、ペットとの精神的な交流や親密度を高めようとしている人が増えてきているのではないか、ということです。
現代社会は家族が平等な関係になりつつあるかわりに、家族の間や親子関係に距離や緊張感が生じている傾向があります。ペットと深くかかわり、仲良くなっていくことで日々の緊張感を癒したり、ペットが本来は子どもが担っていた、家族の中での「愛される対象」の不在を補っているように思います。
西欧では動物に対しての「他者意識」が強く、キリスト教の教義からも人と動物の間に歴然と区別がなされています。グリムの「カエルの王様」を例にあげると、カエルは人間より低い存在として扱われています。
一方、日本では、西欧に比べて人と動物との距離は近く、また人と動物の間には区別はなく、むしろその間には連続関係があるとされています。たとえば、タヌキが人に化けたり、ヤマトタケルが死後白鳥になったり、「ツルの恩返し」の民話のように、人と動物の間に優劣なく変身が行われています。これは日本では人から動物へ、動物から人への変身が相互に行われると考えられてきたといえるでしょう。
1822年のイギリスで成立した動物虐待防止法を始めとして動物保護法が早くから導入されていた欧米諸国とは違って、日本の動物保護に関する法律は1973年になって初めて制定されました。また、現在の動物保護の法律の基礎となっている「動物愛護管理法」には欧米諸国の虐待防止法と違い、残虐行為の制限といった範疇を超えて動物を愛護するといった、感情的な側面にまで踏み込んだ定義がなされています。
どうしてこのような違いが生まれたのでしょうか。
前回あげた『南極物語』のタロとジロの例のように、何を苦痛とするか、虐待とするかは文化の違いが反映されます。欧米では虐待を幅広い意味で定義していますが、日本の場合には、一般的に虐待は殴る、蹴る、食事を与えない、などの意識的な行為のみを指します。見方によっては残虐な行為に対しての認識が薄い、ともいえるでしょう。このため、動物保護に関する法律は、早くからその存在意義をなさなかったのです。
また、そういった残虐な行為=嫌な行為という意識が強いとも考えられます。日本で動物への供養や、動物を殺したときにその感情を鎮静するようなことがよく行われてきたのはそのためだと思われます。
このような一連の経緯からみると、動物を「愛護する」という概念は日本人にふさわしく、愛護という感情的な要素を含んだ「動物愛護管理法」は日本人の動物観に適応した法律だといえるでしょう。
ここまで、学問分野としての「動物観」について、いくつか事例をあげながら観点をご紹介してきました。興味をもっていただけたでしょうか。
動物観の研究対象は、どこにでもあります。テレビでの取り上げ方、雑誌での記述から街中の観察、国語や歴史などの教科書での扱われ方など…さまざまです。要は、そのなかでどのように動物が取り扱われているか、この点についての好奇心、疑問があればよいのです。
ペットについて、野生動物について、アニメや物語のキャラクターについて、みなさんの周りのさまざまな動物について、もう一度、見直してみませんか。目では見えていても、頭や心で見えていなかったことなど、さまざまなことに気づくかもしれません。そこに動物観はあるのです。
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帝京科学大学生命環境学部
アニマルサイエンス学科教授
ヒトと動物の関係学会会長。1946年東京生まれ。
東京大学文学部卒業後、上野動物園、井の頭自然文化園園長、葛西臨海水族園園長、多摩動物公園飼育課長、同副園長などを経て、2007年より現職。
石田 戢 著 現代日本人の動物観―動物とのあやしげな関係 ビイングネットプレス (2008/06) ISBN-13: 978-4904117057 |
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